2020年6月27日放送の『世界ふしぎ発見!』にウェールズのイケメン貴族、グレゴリー・モスティンさんが出演されます。
グレゴリー・モスティンさんが26歳の時に父親が他界したため全てを相続しモスティン男爵に。
モスティン卿とはどのような貴族なのでしょうか。
また、ハリー杉山さんとの関係もご紹介します。
グレゴリー・モスティンのプロフィール
名前:グレッグ・モスティン
英名:Gregory Philip Roger Mostyn
生年月日:1984年12月31日
年齢:(2020年6月現在)35歳
出身地:英国
職業:貴族、地主、部長(Director – Mostyn Estates Limited)
家族:両親と姉
特技:チェス
趣味:歴史
モスティン卿とは?
モスティン卿の歴史は15世紀までさかのぼります。
モスティンホールは英国の歴史で大きな役割を果たした!
モスティン家の館「モスティン・ホール」は英国王位継承戦争であった薔薇戦争で大きな役割を果たしました。
「薔薇戦争」は1455年から30年に及んだイングランド中世封建諸侯による内乱。
共にプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の権力闘争。
最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚。
この結婚を機に両家は和解し、テューダー朝を開いた。
モスティン男爵のご先祖様は、この薔薇戦争でヘンリーチューダー側につきました。
モスティン男爵の先祖、 AP Richard Howellの元に、のちのヘンリー7世が敵から逃亡中に逃げ込んできたそうです。
その後、ヘンリー7世をモスティンホールでかくまっていたところ、数か月後に敵のリチャード3世の兵士達1500人がヘンリー7世を追ってがやってきます。
そのヘンリー7世を逃した後の様子が以下の絵で絵画の赤い方がモスティン男爵のご先祖様だそうです。

出典:アメブロ
後にヘンリーテューダーは薔薇戦争で勝利し、ヘンリー7世イングランド王になりました。
そしてこの家系からヘンリー8世やエリザベス1世といった王様や女王が世の中に排出されたのです。
モスティン男爵のご先祖様はヘンリー7世から
「王宮にはいって臣下として政治に携わらないか?」
と誘いを受けたそうです。
しかし、北ウェールズから拠点を移したくなかったため、断ったそうです。
その後、5つの親戚の血筋内だけで近親婚を繰り返します。
モスティン家はウェールズの豪族達と結婚することでより大きな力を手に入れ、モスティン家を形成していったようです。
結果1550年の頃にはウェールズ全体の土地の10%が、モスティン家の所有になったのだそうです。
まるで海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のようですね。
モスティン家の財力がヤバい!
前述の通り、モスティン家はウェールズの豪族達と結婚することで大きな力や財力を形成してきました。
そのモスティン家で最も重要な方が第2代モスティン男爵でした。

出典:アメブロ
その理由というのが、モスティン家が現在でもモスティンホール(自分の城)を一般公開しなくても経済的に問題のない状況を作ってくれたから。
第2代モスティン男爵は、北ウェールズの宝石と呼ばれるスランドゥドゥノ(Landudno)の街を開拓しました。
ウェールズ最大のビーチリゾートであるスランドゥドゥノには、ビクトリア時代から旅行者たちが集まってくるほど。
『不思議の国のアリス』のモデルの家族がよくこの町にきたそうで、街中にはアリスつながりのモチーフが色々あるようです。
現在でもモスティン家はスランドゥドゥノの街の75%を所有しておりその5%の利益が邸宅の維持費使われるというとんでもない地主様なのです。
殆どの貴族が自宅を公開したり結婚式やイベントでお城を貸し出しして維持費を捻出している中、モスティン家はその必要がないのは凄いことですね。
モスティン家の家がヤバいくらい広い!【画像あり】
なんとモスティン家のお城、モスティンホールには114もの部屋があるそうです。
モスティンホールの中を少し見てみましょう!
こちらがモスティンホールの玄関とも言えるエントランスホール。
こちらがモスティン卿お気に入りの図書室。
天井も素敵ですし、本当に絵のようですね!
英国だけあり紅茶を飲みながら読書されているのでしょうか。
そしてこちらはゲストルーム。
普通にホテルのジュニアスイートより大きいそうです。
天蓋付きのベッドで素敵ですね!
モスティン男爵はスヌーカーが大好きで趣味の部屋もお持ちです。
ちなみに腕前はプロ顔負けなんだそうです。
その他にも「シネマルーム」があり、映画やテレビを観たり、プレーステーションでゲームをしたりされているそうです。
貴族といえど、プレステをされるとは、普通の青年の顔もお持ちなのですね!
モスティンホールの敷地は東京ドームと隣の後楽園を合わせた敷地より広いそうです。
その中には日本庭園もあるのだそうです。
なんでも現モスティン男爵は大の日本好き。
日本にも何度も足を運んでおり、日本語も出来るそうです。
そして日本で訪れた際にじゃがりこを食べて以来大好きで、家のテーブルに置いてあるんだとか。
親近感が沸きますね!w
その他にもモスティン家はロンドンの超高級住宅街「スローンスクエア」にも邸宅を持っています。
先代のモスティン男爵(グレッグ・モスティンさんの父)はロンドンが好きでロンドンに住んでいました。
その関係からグレッグ・モスティンさんも18歳までロンドンで生活をされていました。
しかし父親の逝去後、数年後にモスティンホールへ移り住むことを決断され、現在はここで生活しています。
家もかなり広いので各部屋への行き来はかなり面倒だそうです。
下記が以前「世界ふしぎ発見!」で紹介されていた際の動画です。
現在は114もある部屋の中から15部屋しか使っていないのだとか。
それでも15部屋。w
十分ですよね・・・(;^_^A
ハリー杉山とは幼馴染で中学時代の同級生!
モデルやタレントとして活動中のハリー杉山さんとグレッグ・モスティンさんは幼馴染なのだそうです。
実は11歳からの幼馴染で今も親友の間柄という二人。
中学からの幼馴染ということで、中学時代同じ学校に通っていた可能性が大きいと思います。
ハリー杉山さんは超難関でも知られるイギリス・ウィンチェスターカレッジに通われていました。この学校は1382年に創設された最古の伝統を誇るイギリスの男子全寮制パブリックスクール。
そして5年間の学費は20万ポンド(約3500万円)!
入学数は1学年約130名で、イギリスの中でも非常に高い金額といえるそうです。
イギリスでは上流階級の子息はパブリックスクールと呼ばれる私立上位校に進学するのが常。
従ってグレッグ・モスティン男爵も同じウィンチェスターカレッジに行き、全寮制ということで共に学業に励み寮生活を満喫されたのではないでしょうか。
それにしてもハリー杉山さんも上流階級出身の方だったのですね!
※追記
モスティン卿とハリー杉山は11~13歳までロンドンにあるプレップスクールのヒル・ハウススクールに一緒に通っていたそうです。
プレップスクールとはパブリックスクールを目指す児童たちが通う名門私立小学校です。
仲でもハリーさんやモスティン卿が通ったヒル・ハウススクールはチャールズ皇太子も通学した「名門中の名門」のプレップスクールです。
そしてハリー杉山さんとモスティン卿はロンドンの家も隣同士だったのだとか。
家も隣同士で同じ学校に通っていたら仲良くなりますね!
まとめ
『ウェールズの貴族・モスティン卿とは?ハリー杉山とは中学の同級生!』と題し、グレッグ・モスティンさんならびにモスティン卿についてまとめました。
そしてモスティン卿は由緒ある家柄で、イギリス王室とも関りのあった家系だったのですね。
ハリー杉山さんとは同じ中学に通い、学校や毎日の生活を共に過ごし友情を築かれたのだと推測します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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