池透暢が障害者になった理由とバスケからラグビーに転向した訳は?

2021年8月23日NHK放送の「逆転人生」に車いすラグビー選手の池透暢さんが出演します。

池透暢さんとは一体どういう方で、なぜ障害を持つよういなったのか。

そして以前はバスケットボールの選手だったのがなぜラグビー選手として出場するようになったのか調べてみました!

池透暢のプロフィール

名前:池透暢(いけ・ゆきのぶ)

生年月日:1980年7月21日

身長:163㎝

体重:63㎏

出身地:高知県高知市

中学:高知県高知市立南海中学校

高校:高知県立高知南高等学校

所属:日興アセットマネジメント株式記会社/Freedom

パラリンピック出場予定種目:車いすラグビー

ポジション・クラス:3.0

池透暢選手は、中学時代は野球をされていたそうですが早々に辞め、バスケットボールをされていたそうです。

高校時代もバスケットボールをされていたのでしょうか。

大学についても詳しい情報は残念ながらみつかりませんでしたが、プロボクサーになりたいと思っていた時期もあったそうです。

 

根っからのスポーツ好きだったのかもしれませんね。

 

池透暢が障害者になった理由とは

池透暢選手が19歳の時に事故が起きました。

19歳の時に友人を含めて5人が乗った車で交通事故に遭い、3人が死亡

運転していた車が街路樹に衝突し、大炎上。

池選手は一命は取り止めるものの左足切断左腕の自由も利かなくなりました。

 

また、全身の75%の熱傷を負うことに。

熱傷治療のため、背中や頭部の皮膚を移植するなど、手術は2年半で約40回にも及んだのだそうです。

 

事故で友人3人を亡くすってかなりショッキングですよね。

それでも事故の後、池選手は亡くなった友人の「生きた証」を受けついていくことを決意し、何か打ちこめるものを探されたそうです。

入院中には沢山の友人がお見舞いに訪れ、成人式の日には40人もの友人が集まったのだとか。

これだけ多くの人に愛され、励まされ、亡くなった友人のためにもちゃんと生きようと思ったのではないでしょうか。

 

入院して1年程経った20歳の頃、スポーツをしようと考えたそうです。

そんなときにたまたま中学時代のバスケットボール部の恩師が車いすバスケットでパラリンピックを目指さないかと勧められたそうです。

 

左側に障害が残っていたことから、車いすツインバスケットボールから始め、地方選抜、日本代表候補にも選ばれるようになります。

しかし、池選手は動脈瘤になってしまい、2012年のロンドンパラリンピック日本代表からは落選となってしまいました。

 

障害者となってから亡くなった友人達のためにもパラリンピック・バスケットボール選手を目指していただけに、池選手の落胆は想像以上だったのではないでしょうか。

池透暢がバスケからラグビーに転換した理由

2012年ロンドンで行われたパラリンピックのウィールチェアラグビーを観たことをきっかけに池透暢選手は車いすラグビーに転向。

 

翌年2013年から日本代表の合宿に参加し、主力選手として活躍するようになりました。

左手左足が使えない状態で10年間車いすバスケットボールと向き合い、日本代表に選出されるほどの実力。

車いすバスケットで培った競技スキルやアスリートとしての素質は車いすラグビーに転向してからも存分に活かされました。

 

車いすラグビーは1チーム4人制のラグビーで、屋外ではなく屋内のバスケットボールコートで行われます。

車いすでありながら相手に「タックル」するので、想像以上に激しいスポーツ。

実際に車椅子の競技の中でも衝突の激しいスポーツで「マーダーボール(Murder Ball)」(殺人球技)と言われているのだか。

一時期はプロボクサーになりたいとも考えていた池透暢選手には合っていたスポーツだったのかもしれませんね。

 

そしてこちらが池選手の主な戦績。

池透暢選手の主な戦績

● 2013年 ウィルチェアーラグビーチャレンジ(デンマーク) 5位

● 2013年 アジアオセアニアチャンピオンシップ(南アフリカ)準優勝

● 2014年 世界選手権(デンマーク) 4位

● 2015年 アジアオセアニアチャンピオンシップ(千葉) 優勝

● 2016年 リオデジャネイロパラリンピック 銅メダル

● 2017年 IWRFアジアオセアニアチャンピオンシップ(ニュージーランド)準優勝

● 2018年 2018ジャパンパラウィルチェアーラグビー競技大会 優勝

● 2018年 IWRFウィルチェアーラグビー世界選手権 優勝[9]

2012年のロンドンパラリンピックをキッカケに車椅子ラグビーに転向されたのに、翌年から素晴らしい功績を残されています。

 

池選手にはラグビーに会うべきして会ったのかもしれないですね。

まとめ

『池透暢が障害者になった理由とバスケからラグビーに転向した訳は?』と題し、池選手のプロフィールから障害者となった事故。

車椅子バスケから車椅子ラグビーに転向した理由についてもまとめてみました。

本当にスポーツを頑張り、友人が「生きた証」を残されていると感じました。

パラリンピック、応援したいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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