2月14日はバレンタインデー。
日本では女性から男性にチョコレートをプレゼントするのが主流ですが、海外(特に欧米)では男性から女性にギフトを贈り「愛情」を表現するのが一般的です。
そんな世界各地で愛の誓いの日とされるバレンタインデーの起源や由来は一体どうなっているのでしょうか。
なんでもバレンタインの起源が結構怖いらしいので調べてみました。
また、日本はいつからバレンタインを祝い始め、なぜ女性から男性にチョコレートを贈る風習が根付いたのでしょうか。
気になるバレンタインの起源や由来、そしていつから日本でも祝うようになったのかについてご紹介します。
バレンタインの起源や由来は?
ローマ帝国起源説
一節にはバレンタインデーの歴史はローマ帝国の時代に遡るとされています。
ローマ帝国は紀元前27年から1453年までと、統治形態を変えながらも長い歴史に基づきますが、バレンタインの起源となるのは紀元3~5世紀頃だったようです。
当時ローマでは2月14日は女神・ユーノーの祝日でした。
ちなみにこの女神・ユーノーとは、ローマ神話で女性の結婚生活を守護する女神で、主に結婚や出産、家庭を司るとされています。

出典:Wikipedia
そして翌2月15日は豊年を祈願する「ルペルカリア祭」(清めの祭り)の始まる日でした。
当時若い男女は生活を別々にしておりましたが、この「ルペルカリア祭」の時だけは一緒にいることが許されていました。
祭りの前日のユーノーの祝日に若い女性は名前を書いた札を桶に入れ、翌日に若い男性が桶から札を1枚引き、その札に名前が書かれた女性と祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。
そして多くのパートナー達はそのまま恋に落ち、そして結婚したそうです。
話を聞いているとロマンティックな話のように聞こえますが、どの札を引くのかは本当に運ですよね?!
運良く外見や性格の良い自分タイプの異性と一緒に過ごせればいいですが、自分のタイプじゃない人だったらちょっと気まずいような・・・。
おそらく当時は娯楽も少なく異性と過ごせる機会もあまりなかったのでこのイベントに運命めいたものを感じて余計盛り上がっていたのかもしれませんね。
しかし、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世(在位268~270年)は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。
そして当時キリスト教の司祭だったヴァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちをかわいそうに思い、兵士たちのために内緒で結婚式を執り行っていたと言われています。
ヴァレンティヌス司祭のおかげで兵士たちは愛する女性とこっそりですが結婚できたので大いに喜び、その噂は兵士たちの間で広まっていったといいます。
やがてその噂は皇帝の耳に入り、怒り狂った皇帝はヴァレンティヌスに二度と兵士たちを結婚させるような行為をしないよう命令しますが、ヴァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的にヴァレンティヌス司祭は斬首で処刑されたと言われています。
このヴァレンティヌス司祭の処刑の日がユーノー祭日であり、翌日から始まる「ルペルカリア祭」の生贄として利用されたと言います。
おそらく当時の兵士たちやこれから兵士になりうる若い男性やその相手に対する見せしめとしてこの日に処刑されたのでしょうね。
そうすることで、
「「ルペルカリア祭」期間中は一緒に過ごしてもいいけど、結婚はあかんぜよ?!」
というメッセージを伝達したかったのでしょう。
ちょっと兵士たちがかわいそうですが、時代背景からして上の言うことは絶対だったのでしょうね。
ヴァレンティヌス司祭の処刑はちょっと残酷です・・・。
ヴァレンティヌス司祭は利用され、キリスト教会によって創作された?
当時の「ルペルカリア祭」は古代ローマの祭りの一つで、結婚の女神ユーノーや豊穣の神マイアを崇拝する祭りでキリスト教以前からあったお祭りでした。
しかし、祭事から異教の要素を排除しようとしていたローマ帝国及びローマ教会は、「ルペルカリア祭」を排除すると強い反発を引き起こす可能性が大きいのでキリスト教由来のお祭りに変えよう画策したそうです。
そこで白羽の矢が立ったのが、前述の通り若者の結婚のために殉教したヴァレンティヌス司祭。
西暦5世紀に性的な乱れを助長し若者の風紀を乱していると考えられた「ルペルカリア祭」は当時のローマ教皇ゲラシウス1世により廃止され、若者のために結婚式を執り行い2月14日に処刑されたヴァレンティヌスを由来とするお祭りにすり替えたと言われています。
従って「ルペルカリア祭」に代わり、男女を結びつけるという特色を色濃く残しつつ異教徒にも受け入れられる形のキリスト教的な行事に変更されました。
これによりキリスト教徒でない異教徒の改宗をも目論んだとも考えられています。
キリスト教からすればこれらは異教の神々の祭りで1つの神のみを信じるキリスト教からすれば許容し難かったのでしょう。
また、当時は政治と宗教は深い関わりがあったので民をまとめるためにもキリスト教を普及させる必要があったのかもしれませんね。
もちろん諸説ありますが・・・。
今はロマンティックなイメージが強いバレンタインデーですが、ヴァレンティヌス司祭の処刑やらキリスト教による画策やら、元々は色々な思惑がうごめいているものだったようですね・・・(;^ω^)
日本ではバレンタインを祝い始めたのはいつから?
それではキリスト教ではない日本ではいつからバレンタインが始まったのでしょうか?
日本で始まったいきさつには諸説あるようで、1936年頃から説があります。
その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっており、ここでは有力説をご紹介します。
まずはモロゾフ説で、1936年(昭和11年)に洋菓子店モロゾフ株式会社が東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に日本で初めて「バレンタインデーにはチョコを」という内容の広告を提唱したのがキッカケで日本ではバレンタインにチョコレートを送るという風習が出来たという説。
「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告で、下記画像が当時の広告です。
戦前に英字新聞に出された広告で日本でバレンタインにチョコレートを渡すという風習が果たして広まるのか、個人的には疑問です。
次に1958年(昭和33年)にメリーチョコレートカムパニーが伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」を行ったことを重視する説。
ちなみにこの「メリーチョコレートカムパニー」は高級チョコレートの製造・販売が事業内容となっている会社で、現在はロッテホールディングスの100%子会社になっています。
またまたこれも、デパートでバレンタインセールを行ったことで全国にバレンタインが普及しますかね・・・?!
個人的にこれも疑問です。
1960年(昭和35年)に森永製菓がバレンタインデーに「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と謳った新聞広告を出した説。
こちらがその新聞広告です。
全国区の新聞に広告を出すことで大衆の目に入ることから少しは信憑性がありますが、これもたかが1日出しただけで果たしてバレンタインが普及するのかなと疑ってしまいます。
そして最後に1968年(昭和43年)にソニー創業者の盛田昭夫氏が自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行らせようと試みたことから広まったという説。
上記のように諸説ありますが、日本でバレンタインが普及しチョコレートを渡す習慣が広まったのは企業が商業目的で普及させたのが始まりというのは本当のようですね。
そして1970年代に現在のようにじ「女性が好きな男性に気持ちを伝える」ということが定着したと言われています。
日本でバレンタインデーにチョコレートを贈るようになったのはチョコレート業界による陰謀だったのですね・・・(^_^;)。
そして見事に
チョコレート業界のマーケティング戦略がいかに長けていたのか、感心しますね。笑
まとめ
バレンタインの起源と由来、そして日本ではいつからどのようにバレンタインが広まったのかをご紹介しました。
バレンタインの起源は、実はヴァレンティヌス司祭が処刑された日というのは結構怖い事実ですし、これをキリスト教会がキリスト教の布教や権力のために利用したというのも陰謀めいていて驚きですよね。
そして日本では商業目的のためにバレンタインが広まったというのも、何だか現実を突きつけられた気がします・・・。
「愛の日」の象徴的なバレンタインですが、起源や・由来を知るのも面白い一面が見れて興味深いですよね?!
皆さんはバレンタインはどのように過ごされるのでしょうか?
やはり商業的にのせられてチョコレートを買ってしまうのか・・・。
それとも自己流に恋人とお祝いするのか・・・。
皆さん愛する人と素敵なバレンタインを過ごせますように☆
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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